風通しのよい丸尾焼窯元を訪ねて

- Amakusa-city, Kumamoto

上:文様や色の違う角皿のシリーズ。同じ柄で揃えればすっきりと、色違いや柄違いで揃えれば、食卓がぐっと賑やかで楽しくなる。
下左:使い勝手のいい、浅い小鉢。ドットや線のシンプルな文様が映える。
下右:秘伝の黒釉や白釉、乳白釉がそれぞれに味のある色味と肌合いを醸し出している。

釉薬を守る丸尾焼の歴史

広々と明るい、風通しのよい空間に建つモダンな建物が、丸尾焼の窯元だ。ショップから中庭をはさんで、裏の工房までが見渡せる、なんとも気持ちのいいスペース。「自分が快適でないといい仕事ができない。そう思ってこの場所を選びました」と、5代目の金澤一弘さんは言う。丸尾焼は江戸末期に瓶づくりから始まった。「窯名は、土を採取したところが、丸尾が丘という地名だったことに由来しますが、それはマリアヶ丘だったとも言われています」と、天草の隠れキリシタンの歴史をしのばせる、興味深い話を聞かせてくれた。
3代目が手工芸としての陶器作りに着手し、以来、生活空間を豊かにする陶器の可能性を追求している。ショップには、食卓に置いたときの情景が浮かぶ、そんな、臨場感のある器がずらりと並び、目を楽しませてくれる。また、3代目は、益子の窯業試験場初代場長を務め、黒釉、白釉、乳白釉、透明釉を完成させ、丸尾焼としての輪郭を確かなものにした。現当主の金澤さんは、その釉薬の秘伝の調合を守り、それらがベストな発色をするための土づくりに励んでいる。

天草陶磁の発展と若手の育成に励む

庭に無造作におかれたオブジェの数々は金澤さんの作品。「こうした環境で育ちましたが、焼き物を本格的に志したのは、33年前、20歳のときです。当時は、工人であっても作家的な仕事をする人が多く、それにとても違和感を感じていました。益子でも、浜田庄司というスターが出た時点で、本来の民藝ではなくなってしまうのではないかという思いがぬぐえなかったんです。だから、ここ、丸尾焼では、集団でものを作る、一工人としての仕事を大切にしたいと思っています。陶芸家を志ざす多くの若者が働いていますが、彼らには、個性を出すことを教えてはいません。私が作り上げたコンセプトの中で、仕事の精度を上げることを指南しています」と、金澤さんは熱く語る。

上左:陶芸家である夫人と長尾さん。訪ねた九州の窯の話しで盛り上がる。
上右:モノトーンの花器と器のシリーズ。
下左:庭のところどころに置かれた、夢あふれる金澤さんの作品。
下右:広々とした庭をはさんで向こう側が工房。ゆったりと風が吹き抜ける。

若い力がのびる工房を拝見

早速若いスタッフに工房を案内してもらった。粘土を掘り出し、土づくりからろくろ、型の成形から絵付けまで、様々な工程を、皆、生き生きとこなしている。土を採掘してから、それが器となってショップに並ぶまでには、実にたくさんの工程を経なければならないが、丸尾焼ではそれらすべてを身につけることができるようにと、配慮されている。夢に向かって邁進する若ものが減っているなか、これだけの人数が、志をひとつに集まるのは、大したものである。それは、だれもが羨む環境に加え、金澤さんの工藝に対するゆるぎのない考え方や、天草陶磁の未来へのヴィジョンに賛同してのことに違いない。

上左:地元天草で採掘した土に水を加えて充分に練ったものを脱水し、さらに、木板の間にはさんでプレスし、板状の粘土にする。 上中:ポットに釉薬の原料を入れ、石の玉を加えて攪拌、粉砕して釉薬を作る。 上右:ろくろに粘土をのせ、形作っていくところ。 下左:土作りから焼成までを説明してくれた、若き陶工の高木さん。 下中:素焼きの状態のそばちょこ。 下右:素焼きした鉢。この後、加飾(絵付け)し、釉薬をかけて本焼きする。
透明感のある乳白色こそ、先々代が益子で開発した釉薬の賜物。

盛りつけ後を見る

丸尾焼

熊本県天草市北原町3-10

tel 0969-23-9522
fax 0969-23-9593
maruoyaki.com


ページトップへ戻る

Follow us!