選んだ器、そして盛りつけ

- serving fish, serving food

自然の中で凛とした白が一層映える。何をのせてもコントラストが美しい。

少し曇り気味の肌寒い日、天平窯を訪ねた。母屋の後ろは柑橘の畑で、大きな実が重そうに育っている。しばらく歩いていると、だんだん明るくなってきたのか、空に緑のコントラストがくっきりとして来る。展示室で作品を眺め、さて写真に収めようとした時、何故だか器を部屋の外に出したくなった。テラスのテーブルの上でもなく、靴を履いて出てまわりを見渡し、苔むしたような緑を背景に置くと、白磁に染め付けの器は、一層生き生きと白く艶やかに見える。白磁と言えば、すました顔をした器、よそ行きの器、というイメージが一般的だと思うが、明るい曇り空の緑の上では、ちょっと違うオープンな表情を見せる。絵付けの自由さからなのか、まさに器が料理を受け入れている姿、ということなのかも知れない。
まるぶんのショールームは、有田焼の全てが見られるようなスペースで、テーブルコーディネーターの元祖と言える、クニエダヤスエさんとのコラボで生まれた器が数多く並ぶ。クラシックな柄の復刻あり、洋を感じさせる和のコーディネーションあり。まだ仕事を始めたばかりの頃、クニエダさんのスタジオで私が目にした、いくつもの記憶の断片が集まっているような気がした。
和洋の取り合わせは、誰にも真似できないコーディネートの妙があり、夢のある理想の食卓を、次々と手品のように見せていたのが、クニエダさんの仕事ぶりだったのだ。久しぶりにその頃を思い出して、懐かしいような、ここでもう一度、気を引き締めたいような気分になる。1年前のお別れ以来、久しぶりに恩人と再会したようなひとときだった。
次に、李荘窯の裏手の天狗窯跡を歩いてみる。階段状の窯跡は、波佐見や天草と同様に、その昔、器作りのどんな風景が広がっていたのかを、自分勝手に想像してみたくなる場所。大らかな筆使いに、この柄ゆきはなかなかいいね、料理が映えそうだ、などという会話があったのだろうか。
器も、もちろん盛りつける料理も同じで、原点に遡って、ルーツを感じながらお手本にしながらでなければ、新しいものは作れないのだ。そういう意味では、ここは神聖な場所。振り返ると、そこには器の歴史が横たわっているというわけだ。
有田焼の器は、あまりに広く深く、なかなか近づける存在ではないような気もするが、私の密かな目標は、古伊万里や柿右衛門様式の器をいつか使いこなすこと。しかも、自由で形に捕われない、とびきりの料理と盛りつけで。もちろんそれは、器や料理の本質に根ざした新しさで。などと夢のようなことを考えてしまう、鮮やかな器の歴史を感じさせるのが有田焼なのだと思う。

あとがき

ざっと見た印象だと、有田の町には数え切れないくらいの陶器店が並ぶ。どこからどう選んだらいいのか、初めて訪れた人なら迷うだろう。しかし、見方を変えれば宝の山というわけで、次は、端から順に宝探しをしてみたい。自分には縁遠いような、鮮やかな絵付けの柄も、日常の美しいものとして使えたら、どんなにいいだろう。ぜひ、陶山神社にお参りも忘れずに。


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